会田誠の『げいさい』面白かった!
どうしても今日書いておきたい、理由は以下!
〈その日付はすぐに調べられた。1986年11月2日から3日にかけて。3日間にわたる多摩美術大学(以下・多摩美)の学園前──通称「芸祭」の、なか日から最終日にかけて。〉
会田誠『げいさい』
芸大を受験したが二浪している、主人公の二朗。二朗は友人の高村から誘いを受けて、多摩美術大学の学祭へ足を運ぶことになる。そこには喧嘩中の恋人・佐知子や、予備校時代の友人たち、それぞれ違うタイプの教授たち、謎の六浪生など、個性豊かな面々がいて……手応えのない若い日々を「げいさい」で過ごした一晩の記憶になぞらえて描く物語。
「会田誠の『げいさい』を読んでるよ」と、上司にあたるひとが教えてくれたのがきっかけだった。
その人いわく、「僕ね、変なひとが好きだから」という理由で会田誠の本を読み始めたらしい。
会田誠は知っているけど作品が怖いイメージあるし小説も怖そうだなァとそのときはスルーしていたけど、また別のひとから、「会田誠の『げいさい』ってどんな話ですか」と尋ねられる。
そこで上司に聞いてみると、なんと本を貸してくれた。「ま、大学生の話だから、男女の交わりなんかも描かれるけどね……」とひとこと付け足される。
そんでもって今日は仕事だったんですが、ちょっと待ち時間が途中であったからついに読むことにする。すると冒頭に引用した文が飛び込んでくる。
11月3日って今日じゃん!
そこから親近感(?)がわいたこともあってどんどん読んでいくと、なんか全然怖くないし、むしろ普通に青春ものっぽいことに気がつく。
基本的に芸術を志す若者たちの話なので、はじめから終わりまで、芸術ってなんなんだろう、なんで作品をつくるんだろう、ある程度のステージに立ってもそこから上に皆が行けるわけでもないし、評価されていく作品とは何か、そもそも評価されたいのか、現代アートとは何、自分は何をどういうふうに作りたいのか、という悶々とした感情で物語の世界が占められている。
誰でもこんなこと思ってるんだな、と感じられただけでも私は嬉しかったです。
あと、先生(大学の)や大学生によるちょこっと芸術知識みたいなのもあって、読んでいて楽しかった。作家だけどシオラン出てきておおーとなった。
交わりが全然出てこないと思っていたら出てくるんだけど、それもちょっと痛みを伴う記憶のひとつというか、物語のなかの重要なキーとして大切に書かれているのがよい。
そう、伏線もきちんと張られていて、文も読みやすいし面白いし会田誠すごい……と思いました。作文。
〈僕はだんだんと、自由を謳歌する、調子のいい美術系の若者の輪の中に入っていった。〉
〈高村は油絵科で感じる疎外感を、こういったサークルの別の空気を吸うことで、自ら癒していることがよくわかった。〉
(どちらも『げいさい』より)
私は学外の学生だったけど、当時某志社大学や某命館大学によく潜り込んで、趣味のあう友達と夜遅くまで話し込んでいた。あのころのことを何だか思い出してしまった。
上に引用したところはもちろんそうだし、二朗が芸祭の夜に模擬店で学生の皆と飲み明かす場面があって、そこで学生ではないけれどそんなに違和感なく混じれてしまうところとかすごくわかった。
物語なのか実録なのかわからなくなる境目とか、物語のなかの日付と私が本を開く日付のリンクとか、物語が日常を侵していく楽しさもあった。
とりあえずどうしても、げいさいが終わるまで(11月3日)のうちに書いておきたかった!
今日は仕事だったけど、会いたかった人や懐かしい人や同級生にも会うことができた。
たくさん顔が知れてよかったね、と先輩に言われたあとかけられた言葉が、今日の日記のタイトルです。先輩ありがとう。
ちなみに先日の大切な日は無事に終わりました。あと少しのところがかなわくて悔しかったけど、若い人たちは頑張るらしいので私ももう少し頑張ろう。