本のある日記

本のある日記

日記・その時にあてはまる本・ことば・音楽。

ふれる/泣くのも笑うのも同じ

2日
なんてことない日のつもりだったが、朝の会議が意外と疲れた。そのあたりからなんだか調子が良くない。ボタンがかけ違っていくように物事がうまくいかない。他者の何でもない言動がいつもよりささくれて引っかかる。

そして突然、ぶわっと泣いた。しかも人前で。
自分でもびっくりしたが他の人はもっと驚いたし、面倒だったと思う。たまたま気心の知れた人たちばかりが周りにいて救われたのだが、自分でもどん引きした。
なんで泣いてるんだろうこんな馬鹿みたいなことで。

たぶんバイオリズムのせいなんだけど、しかしこういう周期のときに感情が抑えられない。
それも(自分で思い込んでいた)約束が無くなってしまったときに感情がコントロールできなくなってしまうんだと気がついた。
今月は抑えられたと思っていたのに全然だめだった。しかも職場で泣いたことに動揺していた。

だいぶ落ち着いたころ、仲の良い人がたまたま話しかけてきて、もしかしたら泣いてるのばれたかもしれないと思いつつ話した。
そのあと少し時間を置いてからまたはち合わせたとき「なんだか泣きそうな顔してない?」と尋ねられて、でも理由があまりにもつまらなくてなかなか話せなかった。
でも聞いてほしくて話した。
本当は泣いていることに気づいてくれて嬉しかった。私は歪んでいる。

全部聞いてくれて、何も否定されなかった。全部肯定してくれる。
なぜこんなに優しいのだろう。
「泣くのも笑うのも同じことだと思うけどなあ」とその人は言っていて、そんなわけないって思うんだけどとても救われた。
「あなたのことを本当に思ってる人なら誰も迷惑とか考えたりしないよ」とも言ってくれた。
なんかすごい。
本当にどうしてそんなに優しくして、かまってくれるの。

この人もそうだし、他の大切な人もそう。
私の周りにいる人たちは、私が泣くことをすぐには否定しない。そのままを受け止めてくれる。それがあまりに幸福なことなので、すごくこわい。その裏にある気持ちが、冷たいものだったらどうしようとこわい。
でもだんだん信じてしまっている。本当に大切にしてくれてるんだと信じてしまう。

日記の話をした。読んでほしい気持ちもあるけど、まだ読まないでほしい。


元気出た?と聞かれて、出たよ。ありがとう。
と答えた。



〈「ふれる」は人間的なかかわり、「さわる」は物的なかかわり、ということになるでしょう。(中略)/傷口に「さわる」のが痛そうなのは、それが一方的で、さわられる側の心情を無視しているように感じられるからです。そこには「ふれる」のような相互性、つまり相手の痛みをおもんぱかるような配慮はありません。〉
伊藤亜紗『手の倫理』より)

伊藤亜紗『手の倫理』

手の倫理 (講談社選書メチエ)

手の倫理 (講談社選書メチエ)

今日の優しさに、この本を思い出した。
今日は間違いなく「ふれる」の日だった。