30日
朝は練習。自分が発した言葉に予想外の反応をされて、ちょっとショックを受ける。
心が弱るとひとりでいたくなくなる。部屋で過ごす夜が長い。ゲームの中でみんなを殺して、ゲームの中で愛の言葉を貰う。
もう金曜日なのに何もない。それでも平気で過ごせる。
31日
この朝も練習。お昼は先生がごちそうしてくれる。少し気分が晴れる。
夜はカレーを食べながらオリンピックのサッカーを観る。
机の上に内服薬の袋が置いてある。発熱時に飲んでくださいと書いてある。
私は、あなたのことを何も知らない。体調を崩していたことも休んでいたことも、来週の予定も冷凍庫の氷いちごをいつ食べてしまったのかも、あのとき思っていたこともわからない。
自分は心が弱ると頼って何もかも打ち明けたくなるのだけど、だからといって他の人も同じではないんだよね。
それがとても寂しいのだけど、その永遠に埋まらない差があるから私は言葉を残すことができているのかもしれない。哀しさがいつもどこかで生まれてしまうから、自分の中から永遠に詩情が消えない。
〈少しでも触れたら、「愛して」って声が漏れだしてしまうような人はいて、/そういう人が本当にこわい。/ぼくは風じゃないし、きみは、カーテンじゃない。〉
(最果タヒ『愛の縫い目はここ』収録「ピンホールカメラの詩」より)
風でカーテンが揺れる当たり前の相互関係みたいに、本当は○なら○の穴が相手の心に開いていればいいし、△なら△の形にピタッとはまってくれたらいい。でもそうではない。そうではないけど、だからといって決して嫌いにならない。
Every Little Thing「TIE-DYE」(『Many pieces』収録)
悔しさが哀しみに変わるって言う歌詞の意味がよくわからなかったのだけど、好きじゃなかったら悔しいままでいられるのかもしれない。好きだから伝わりきらないことが哀しくなるみたいな。