本のある日記

本のある日記

日記・その時にあてはまる本・ことば・音楽。

春と夏の終わり・鳥を埋める

〈コミュニケーションというのは、要するに、何かと何かを取り替えることです。(中略)欲望がもっとも亢進するのは、そこで取り替えられつつあるものの意味や価値がよくわからないときなのです。〉

内田樹『先生はえらい』より引用)


4日
朝は練習。午後になると、早く次の日の朝が来ればいいのにと思う。夜は何をしたらいいのかいつもわからない。

5日
待っている自分に何回も気づいてしまう。そしたらふいに連絡がきた。
重たい荷物が肩からすべり落ちていくように安心した。
ストレートな言葉で戸惑ったけど、とても嬉しかった。生姜焼き食べた。

6日
ひとりで仕事していると、自分は何のために生きているんだろうという気持ちになる。
今、体調も良くないしナイーブになっているのかもしれない。

雑貨屋さんに行く。

「最近どうですか?」
「私は普通の人間になっちゃいました」
「前は何だったんですか」
「転がる石と呼ばれていました」
「じゃあ、今のほうが良いんじゃないですか」

こんな会話をした。そう、今のほうがずっといいの。
気候に秋を感じる。好きな季節だけど去年は大切なものを失った秋だ。少し緊張する。

7日
出勤すると鳥が死んでいて、埋めた。
生き物を埋めるのって初めてかもしれない。思うように土は掘れない。

よく色んな所にいますね、と、言われるたびに苦しい。私がかまってほしくてうろうろしているのが見透かされている。年齢と寂しさのバランスが合わないし、寂しさとひとりになりたい気分のバランスもとれない。

夜はとっても嬉しいことがあった。自分が書いたものが、久しぶりに人の目にふれた。
春に書いた話だったから、春のころの日記を読み返した。春の自分センチメンタルすぎるよ。
私は好きな人のことを言葉にしたいらしい。自分に詩情を与えてくれる存在は、すなわち好きな人ということなのかも。

私がミューズと読んでいた友人はどこかに消えてしまったし、春に書いた話に出てくる人たちもみんな今では距離が変わった。
自分が書いたものを読み返すたび、過去の日記を開くたび、もう戻れない関係がそこには褪せずに残されていて切ない気持ちになる。けれど、だから言葉にして残しておきたくなるんだろうな、とも思う。
春と同じく、夏ももう私の中では終わった。
この夏の思い出。
ひまわり、アイス、認知心理学。花火と海、ぷよぷよ。道を間違えたドライブ。お腹の痛くなったお好み焼き。

ひとりの時間が増えるから、秋はまた小説書こう。



内田樹『先生はえらい』

実家に戻ったとき回収した本。昔バイトしてたところの店長がくれた本。なにも考えず読み返したら、おそろしいほど良かったわ。
対話を始めたばかりのころが、人間の関係では一番楽しい。
そう感じた出来事があった。
わからないものを差し出したら知らないものを与えられる、そういうころが一番近づきたくて楽しい。
でもそこからそのままではいられないのだと、私はこの春と夏でまた学んだよ。

〈コミュニケーションを駆動しているのは、たしかに「理解し合いたい」という欲望なのです。でも、対話は理解に達すると終わってしまう。だから……(略)〉
(『先生はえらい』より)