本のある日記

本のある日記

日記・その時にあてはまる本・ことば・音楽。

対人恐怖

外出先で他人の視線が怖くて(知り合いがいて知られたくない姿を見られたらとか、何かが変で笑われたらとか)顔を隠して歩いている。
通路にたくさんの人がいると怖くて、いつも息を止めて走って去っていく。
ひとりでいるときもそうだし、特に誰かといるときに。

他人が自分に対して興味を失ったり冷たくしてくるとパニックになる。
けれど、いつも褒められたくて構われたくて誰かのいるところに出かけていく。
そして欲求が満たされなかったら、自分のことを置いていかないでって泣きながら相手を責める。
そして向けてくれる相手の優しさが本当の気持ちだとはとても信じられなくて、気を使わないでほしいと突き放す。

これが本当の私なんだと思う。
生きていくうえで、やりづらくなってきた。
素直に気持ちを出せばいいのにできない。
だめだと分かっているのに大切な人に迷惑をかけて傷つけることをしている。

めんどくさいって言われる。言わないあなたはおそらくだいぶ我慢してくれている。

カウンセリング受けたほうがいいですか?と、職場に来てくれるカウンセラーの方に尋ねると、
「カウンセリングで解決することではないかなあ」
と答えられた。

記憶の中に、あれが契機かなと思うことがひとつあるけど、でもそのずっと前から自分に自信はなかった。


11日
王将を食べた。
大切な人の前で大泣きする。だめだめと思うけど、泣くのを止められなくて、救急車呼んでほしいとさえ思う。
何もひどいことはされていないし、とても優しくしてくれるのに、何が足りないのかわからない。

「他人と一緒にいるの苦しい」と言ってしまう。

「苦しいの悲しい」と相手は返してくれたけど、とてもひどいことを言ってしまった、と思う。
でもこれが本当の私だし、病院に行かないといけないのは世の中の他の誰かじゃなくて私の方だよ、とも思った。


12日
一時間くらい歩く。コスモスがきれいで立ち止まる。足が真っ赤になっている。
とても落ち込む。
もうだめかもしれない。また、昔みたいにどん底になってしまうのかもしれない。
迷惑をかけた人にごめんなさいというと、理由を聞かせてほしいと言われる。
「理由を聞かないと味方にもなれないから」と言われる。

何を思っても、最後に不安だと思ってしまう。
安心がほしい。
安心を得るために、ただずっとかまっていてほしい。

私の本音はこうなんだけど、それを告げるのが怖い。離れていかないでほしい。


13日
家に帰ると何をしていいのか分からなくなる。

14日
冒頭のことを、職場に来てくれるカウンセラーの先生に話す。
前も同じようなことで相談した。

涙が出るのは不安があるから。
他のことで気を紛らわせられないのは、やはり対人に強い思いがあるから。
そして今の状態は、自分にとっての安心がない。だから不安になる。
不安が発生するのは、対人関係で何らかの「傷つき」を受けた体験があるのでは?
身近な人を傷つける(困らせる)のは、身近な存在から傷つけられた体験があるから。身近な存在からされたことを、無意識のうちに別の身近な人に行ってしまう場合がある。

必ずではないが、そうした理由もあるのでは、という話になる。


傷つけてはいけないと思いながら、知らずのうちに傷つけようとしている。な、と最近思うことが何回かあった。


解決は難しいが、他人に傷つけられれば自分も他人を傷つけてしまうように、
逆に、優しくされたことを身近な人に返すこともある。
そういうふうに話は終わった。

まだ本当のことをすべて言えないし、明日は憂鬱な案件がひとつある。
普通に怖いけど、でも大切な人を手放すことはできないんだよ。


〈つまり、ただひとりの人にしか何も話したくないということ。〉
(『サガンの言葉』より)

山口路子『サガンの言葉』


『冷たい水の中の小さな太陽』に載っている言葉らしい。