本のある日記

本のある日記

日記・その時にあてはまる本・ことば・音楽。

抵抗できない/望むものが得られない

12日
母の誕生日。何もできないけど…
お腹が痛くて習い事はお休み。
連絡したい人に連絡するけど、かえって苦しくなった。のれんに腕押しというか、どう思っているかがわからない。近しい人ほど感情が見えなくなってしまう。

13日
練習。寒すぎ。無理したくない。

14日
久しぶりに歯医者さんへ。あと、生まれて初めての乳がん検診。
この日は女性からよく声をかけられる日だった。打ち明け話もしてくれたり。

15日
お仕事。の合間に、読書。

「(略)……辛い、苦しい、いや違うな。ええと何だろう……怖い。ああ、そうだ、怖いんだ」/わたしはとても、怖い。/「(略)なんていうか……置いてけぼりにされたような、迷子になっているような感じ……って、分かんないよね。ごめん」

(町田そのこ『52ヘルツのクジラたち』より)

苦しいとか悲しいよりもまず「怖い」につつまれるよね。

ここからネタバレをします!











結局ここに至るまでに誰が悪かったんだろうと、私は考えてしまう。
主税のしたことはもちろん正しくない。
けど、アンさんも直接的ではなく間接的に、そして一方的にコミュニケーションを取り続けたのは正しくない。
正しい判断ができなかった貴瑚も悪い。
子どもを虐待する琴美も悪い。

しかし彼らの行動には、今までに誰かから傷つけられた背景があって、そういうコミュニケーションの手段しか取れなかった、という動機がある。それをすることで彼らは生き延びてきたから。
そうなると、育てた人たちが一番悪い。
と思ったのだけど……。もちろん、善悪を決める物語ではないことはわかっている。

みんなどんな感想を持つのかなぁと、読書メーターをのぞいてみると、
嫌なことを嫌と言わなかったことにも非がある、という意見があった。

でも、本当に好きな人からされた行為って、たとえそれが間違っていても、そんなにすぐ抵抗できないし、信じることをあっさりやめたりできないと思うんだよね。
そして、思うような意思の疎通が叶わないとどんどん苦しくなって、どんどん怖くなって、
判断力は無くなっていくと思う。
それが暴力なのだけど。

されるがままに傷つけられるのは良くないかもしれないけれど、抵抗することができなくなった相手を傷つけ続けることもしてはいけないと思う。

たぶん愛も貴瑚もアンさんも琴美もそれぞれ、助けを求めるサインはとっくの昔から出していたはずだけど、誰も気づいてくれないし、誰も助けてくれないのにサインも出し続けられないよ。

この物語には救済や懲罰がきちんと与えられるけど、現実はほぼ、誰も自分のことを本当には解ってくれないし、助けてもくれない。
苦しいことをひとりきりで受け止めなくてはいけない、とわかっているから、貴瑚は「怖い」んだと思う。

槙ようこ愛してるぜベイベ★★』という漫画にこんな台詞があるのですが

「子供ってさあ/本当に傷ついた時/大人に「傷ついた」って言えないの/だから大人が気づいてあげなきゃだめ」 

(『愛してるぜベイベ★★(1)』より)

姉ちゃん……姉ちゃん好きだった……。
この台詞を読んだときすごく救われたような気持になったのを覚えている。
本当の気持ちを言えない自分の弱さも、認めてもらえたような気がしました。

たぶんこの物語も、ベイベと同じように、読み手に対してへの手も差し伸べられてるんだと思う。

散漫な感想だけど……

でも、トランスジェンダーの書き方に対する疑問とか、貴瑚は本当に愛と同居して大丈夫かなあという思いや、
貴湖は好きと言ってくれる人も助けてくれる人も守ってくれる人もいていいね、という僻みとかも感じた。

そういえば、誰かを心配して裏目に出るのが辛いからもう心配しないほうがいいですか、
ってカウンセラーの先生に聞いたとき、
それは(心配しなくていいということは)絶対ない。って断言してくれたことを思い出した。

だからこれからも心配するし、辛いときには助けを求めて泣こうと思います。



お題「我が家の本棚」