三十三歳になった。
5/20
よく晴れていて良い日だった。帰宅すると夫が花をくれた。嬉しかった。
21日
心が安定している(気がする)。誰かといても、ひとりきりでも。
22日
話したいことがあって、いや、話したくて、でも、目の前に立つと呪われたみたいに言葉が出てこなくなる。そんなことがたまにある。ないの?
できなかったことを知るたび、叶えたかったことに気づいてしまう。つまり、自分が望んでいたことを身をもって実感する。
心が安定していたんじゃなくて、まだ何にも傷ついていなかったからなんじゃないのかな? 凪いでいたのは。
違うよ、それでも前みたいに沈み落ちたりしていない。前と同じではない。私は私なりに変化している。
でも、やっぱり、思い知る時はある。自分が何に期待して、何を恐れていたのかを。
扇風機を出した。壊れていて、ひどく振動してがたがたと音がするけれど、静かすぎる部屋ではこれくらいが心を庇ってくれそうだ。
今日読んだ本
植本一子・滝口悠生『さびしさについて』
これを買って、読まないまま長く机においていたら、「さびしいの?」と訊かれた。さびしくないよ。
矛盾しているけど、自分が、さびしくなくなるのが怖いなって、ときどき思う。
手紙は感情が即時的でないから、やりとりとしては優れている気がする。少し時間を置くことで一歩引いて考えられるし、答えを返せる。
そのぶん、書かれずに消えていくものも多いのだとは思うけど。
そういえばこの本のもともとの題は『花をおくるよ』という一文があったなと思い出した。花は花で、あえて言葉にしない何かが込められているやりとりなんだろうな。