本のある日記

本のある日記

日記・その時にあてはまる本・ことば・音楽。

まだ無理、まだ大丈夫。

もう何がいつあったのか曖昧だけど話していくね。

 

京都へ行ったよ。大学のゼミ仲間と飲むために。私たちは国文学(中古文学)をやっていて「光る君へ」観てる? みたいなのでゼミラインが動き、 ゼミの先生大学のYoutubeで出てたよ…みたいなので盛り上がり、私が言い出して飲み会をすることにしたよ。

とにかく飲み会の多いゼミで、全員で7人しかいなかったんだけど雰囲気もよくてゼミ旅行にも行ったりして(金沢)、いい仲間だった。ただ、ゼミの仲間というだけで友人ではなかったので××年ぶりに会うのでも今いち思い出せない……というわけで

「すべての記憶は今日から作られる。自己紹介から始めましょう」となり、合コンのようにひとりずつ順番に話した。面白かった。

みんな普通の人だけど、文学の話ができるところだけ普通と少し違う感じで良かった。京都は人が多すぎるから次は滋賀だねと言って別れた。

 

この旅は夫についてきてもらっていて、二日目は朝一番から嵐山へ行った。市営地下鉄に乗った瞬間青春がよみがえってくる。学生バイトのときは最悪な気持ちで歩いていた烏丸御池での乗り換え、静かなホーム。懐かしかった。

朝の嵐山、楽しかった。ごはんも食べずに出たのでパンを買って川辺で食べた。

竹林を歩いて、落柿舎とかあの頃ひとりで行ってたなぁとか思い出す。今思うと二十歳そこそこの私はちゃんと文学していたのかもしれない。

嵐山を脱出したあとはもうひとつの青春、二条城近くにあるカレー屋「森林食堂」へ行った。当時近所に住んでいて、私の大学時代後半のすべてがこの一帯にある。(引っ越してきたから大学時代後半だけの思い出)

二条城のあたりから自転車でどこでも行った。きぬかけの道も行ったし同志社も行ったし古本まつりも岡崎も。

森林食堂、ぎりぎり入店できた。カレーが美味しい、店員さん優しい。みどり色がかわいい。

二条駅もめちゃくちゃ懐かしかったな〜ここで映画に誘われたりしたの〜駅舎、今見ると音楽堂みたいだね。

京都駅に早めに着いて、人が多すぎて地獄の様相だったので、少し歩いて珈琲館に避難する。時間を潰して、次の旅先のガイドブックを見ながら過ごしました。

そして高速バスで四国へ……これは11月9、10日ごろのおもいで。

 

日常はどうしても元気になりきれなくて困っていた。無理なものはやっぱり無理なまま。

あるとき機会があって、カウンセラーの方に最近思っていたことを聞いてもらった。今はすべてが嫌で、すべてに対して疑心暗鬼で、すべてが敵だと思ってしまう。みんなは私がネガティブだというけれど、それはそうだけど、でもあなたたちは私と同じことを味わっていなくて、その気持ちはそのときそこにいた私にしかわからない。

そんなことを話した。もう少し言葉は違うけど。今は何にも関わりたくないし、行きたくないものは行きたくない。能動的に何もしたくない。

「いまは少し休憩ということですね」

とだけ、カウンセラーさんが言った。

その短さだけで良かった。

私も嫌な気持ちを言えてずいぶんすっきりできた。

その後、大切な用事があって、しばらく仕事を休んだ。用事が終わるころ、谷川俊太郎が死んだ。生きているあいだに会ってみたかった存在だった。

夏のおわり、高松市美術館で行われていた谷川俊太郎展に行ったときのことを思い出した。あのとき私は詩のキーホルダーを買った。まだ大切にしまっている。

いつか彼の言葉を身につける日が来ると思う。そして言葉を友人たちに渡すときもくる(キーホルダー三個買った)。それは私たちが離ればなれになるときと決めている。なるべく遠いことを願っているけど。

 

谷川俊太郎が死んで、私も職場に復帰した。いろんな人に病んでいたのかと心配されてしまった。

なんとなくこのへんから少し元気になった。人と会話していてもつらくないし、人と関わることで癒される部分もあった。

みんなは深く聞いてこなかった。私よりずっとまわりのほうが大人だ。(休んでいたのは、まったくもってネガティブな理由ではないよ)

無理なものはまだ無理、私は気持ちの切り替えが苦手らしい。

だけど反面、まだ大丈夫な私もいる。まだ過ごせる、まだ生きていける私。

 

日記はずいぶん間が空いてしまい、季節も冬みたいになってしまった。あの人の髪は伸びて、あの人は髪を切っていた。私は何も知らなくて、もっと知りたいし教えてほしいという欲だって出てきた。

あのまま消えてしまいたかったのに、どうして気持ちは変わって大丈夫なんて思うようになって、笑っているんだろう。いつも人に心配ばかりかけている。いつもわがままになってしまう。

よく話す人がいて、そういえばこの人はずっと優しいなって思う瞬間があった。あたりまえのように過ごしてきたけど、この人実は、ずっと私に優しくいてくれてる。と急に思った。嬉しいし、申し訳ない、こわい、そうでなくなるかもという不安も含めて。こうして書き出してみると私はそこまで大丈夫じゃないのかも。けっこうぐらぐら揺れているね。

 

少し前に自分がつくった短歌を見直した。ぜんぜん、良いものに思えなかった。

 

何かまた書きたいな。

 

 

 

旅先で読んだ本。「foufou」というブランドの服を作っている人が書いている。

 

…けれどものを買うたびに「意味」を求め、「愛着」を持ちすぎるとちょっと疲れてしまいます。

(マールコウサカ『すこやかな服』より引用)