本のある日記

本のある日記

日記・その時にあてはまる本・ことば・音楽。

絶望とはすなわち期待

なんかいろいろあるんですけど、たとえば職場で急に泣いたり、喧嘩したり、落ち込んだり。

三十三にもなってまだこんな(他人に対する)ことで苦しんでいるのかって思います。でも許せないことは許せない。私はキャパが狭いんだ。自分で思っていたよりずっと。

大きな決断も迫られていて、明日その答えを出すんだけど、どこかで一生後悔するのかもしれないなって思っていてすごく怖い。あのときああしていれば…って、私はそれを選べたのに逃げたんだなって思わないかな……とか、怖くて仕方がないです。

三十三の終わりには子どももできて仕事のこともいろいろ決まってるかと思っていたのに全然何も変わっていない。もはや二十代のころからたいして進歩していなかったことさえ思い知らされるような日々が続いている。私はぎりぎりで保たれている。もうすぐ本当に何も(希望が?)なくなったら私はどうなってしまうんだろう。

何もひどいことされていないです、それでいて勝手に悲しくなっているだけ。

何かに悲しくなるっていうことは絶望しているということでもあって、つまりそれに期待していたから、そうではないことに落ち込んでしまうんだと、夜の川辺で思ったりした。車内では宇多田ヒカルの「テイク5」が流れていた。「絶望も希望もない」……。

 

もう日記もさ、何を書いていいのかわからないの。毎日少しずつ嬉しいことそわそわすること悲しいこと色々あるんだけど、逆に何も残したくない。残せるほど覚えていたくない。

それどころではない、が一番近い表現かもしれない。

 

12/22

無印良品で白いセーターを買った。

雑誌『SPUR』2024年12月号に載っていた島本理生さんのコラムに影響されたからだ。

仕事で、日常で、心乱されることがあったときに白色を纏うと、いったんリセットされる気がする。

島本理生「白い領域の思い出」(『SPUR』2024年12月号 「ファッションと言葉」特集に掲載)より引用

ネットでも読めるみたい。

https://spur.hpplus.jp/fashion/topics/2024-11-08-L422zA/

 

白は、あまり着ない色だけど、少しだけ着てみたくなった……気持ちを切り替えたくて。

 

もうすぐ三十三が終わってしまう。何も焦ることはないのに、でも、もう若くないと自分では感じてしまって焦っている。いまならまだ何かを始められそうで、今を逃せばもう取り返しがつかないような、そんな焦燥にかられている。

しかし何もできないまま、冬が過ぎていく。

未来が何にも染まらないまま、私を過ぎ去っていくような十二月。