1月6日
ずっと楽しみにしていた予定がキャンセルになって、そのキャンセルになった時間で街の本屋(ルヌガンガ)へ行った。植本一子さんの『それはただの偶然』を買う。
その足で喫茶ぱらいそへ。遅めの昼ごはんとしてチキンオーバーライスとプリンを食べる。
小雨の上がったあとの窓ガラスは曇っていて、いつの間にか店内は私だけが取り残されていた。
喫茶店は好きだけど人がいないほうがいい。世界で生きるのに向いていないから取り残されているくらいがいい。……寂しさに耐えられないから、やっぱりそんなことないか。
「ごゆっくりどうぞ」と、プリンが運ばれてくる。ごゆっくり、という言葉に配慮を感じた。
むらさきと黄色が可愛い。
楽しみにしていた時間を偶然失った。でも、その偶然で本とひとりきりの時間を手に入れた。
本は帰宅してから全て読んだ。
どことなく喪失感のある一冊だった。
感情は理解できるが、感覚が違う部分もある(当然だけど)。「違う」と書かれていても違わないんじゃないかな、とか、いろいろ考えさせられた。
多くの人が出てくるが、私がそのうちの一人であればこんなに穏やかにはいかないだろうな、とも思った。でもそれは私のものさしなので。
私は周囲からの評価を気にして、相対的な価値観で考えがちだけど、人生って本当はそうじゃなくて、絶対的に自分が生きていくための最善策をとるべきなのかもな。
あと、これも私の価値観だが、人には「殻」があると思う。家族とそれ以外とか、恋人とそれ以外みたいに、自分のエリアの中にいる人と、外にいる人をなんとなく分けて生きているのではないだろうか。植本さんの日常にはあまりそういう殻が感じられなくて、自分と相手、という感じが近いかな。ぐっと引き入れるし、ぐっと入っていく、そんな風に感じた。
たとえば、「私は(あの人は)家族じゃないからこれ以上は踏み込まない(踏み込ませない)」みたいな、そういうのがあまりない。自由。それは、感覚的には私とは違うんだけど、悪いことではない。そういう違いがあるなと思った。
エッセイだけど、ラブレターみたい。植本さんの本はいつも、ラブレターなのかもしれない。