本のある日記

本のある日記

日記・その時にあてはまる本・ことば・音楽。

夜思い出す

9月に入ってから情緒安定せず。秋の心を訴えかけると書いて愁訴と読む。これは秋が来ただけなんだ、季節の変わり目でバイオリズムが狂っているだけなんだ、と自分に言い聞かせても小さなことで傷ついた気持ちになったりする。不満はないのに不安になったり。

すべてをバイオリズムのせいにして職場でハーゲンダッツを食べても解消されない、もやもやがずっとある。

かさぶたを剥がせばまた悪化するみたいに、放っておけばいいものに何度も触れ直して心が痛くなったりしている。夜思い出して後悔したり、昔の日記を読み返して死にたくなったりしている。つらいことを書き残すのは嫌だからしていないのだが、よい思い出も時には劇薬になる。

コンディションがいいときは日記を書いて、乱れたときは歌を詠んで(詩を綴って)、と生きている。そのときはつらいがあとから考えると平安の女の暮らし方みたいで良いような気もする。

 

ある人が転職の話をしていて、「転職サイトに載っている仕事を見ても自分にしっくりこない」と言っていた。

私は最近、仕事がつらいとき、みたいな本を読んでいます。と言うと、そこに何が書いてあるの?と聞かれたので

「人の言葉は気にするな。まわりのことは考えるな。ということ」と答えたら、

「それはそう。とくに自分(ここではその人からみた私のこと)はそう」と言われた。

また、考えすぎだと思われているのだろう。

でも私からしたらみんなが異常なんだけどな。その日によって言うことが変わったり、簡単に興味をなくしたり、近づいてきたり傷つけたり優しくしたり。人にそんなに簡単に影響を及ぼさないで。……そんな私があまりに自分勝手かな?

というかこの人ともこんなことが話したいわけじゃないのにな。

その仕事向いてるから続けてほしいと言いたいし、私だって転職サイト見てると言いたいし、悩める人のための本を読んでいることを伝えて何かを知らせたいわけでもない。

でもうまく話せない。三十半ばにもなって他人の何を恐れることがあるんだろう。と思うけど。

結局わからない、他人にどこまでを許して、どこまでが許されるのか、逆に許してないのになぜそこまで踏み込んでくるのか、それをなぜ許せないのか。そんなこと考えなくていいのか、どうかも。

 

また違う日、ある人に、

「何かをあなたに言おうと思って、そのことを夜考えてたんだけど忘れたわ」と言われた。

私が誰かのことを夜思い出す感覚と、その人が誰かのことを夜考える感覚は天と地ほど違うものだと思うのだけど、でも忘れないでくれてありがとう。と感じた。重たいでしょ?私。だからあんまり関わらないで!とほんとは叫びたい。

 

『別冊太陽 矢沢あいNANA』の世界』

TSUTAYAで見かけて購入した。

それからNANAが自分の中でなんとなく再ブームになっている。赤いチェックのスカートとか、黒い服とか欲しくなる。

私は最初の頃の、新生活が始まっていく雰囲気が好きだった。あのころは中学生(まだ子ども)だったので今読む方が心に刺さる感じがある。矢沢あい、人の心の弱さを描くのがうますぎる。

ナナのヤスに対する感情とかすごく生々しい。都合のいい存在、にせざるを得ない存在。

今読むとタクミが好き(当時はシンちゃん)。ハチは間違ってないよ。決定力とタフさは大事だよね。