
「修繕とコーヒー」(みなで壊れたものを持ち寄りそれぞれ直そうという、サイトウコーヒーさんのイベント)に三回目の参加。欠けたコップを直しているのだが、もう少しで終わりそう。
金継ぎはどうして金を塗るの?と家族に聞かれる。そう言われるとさっと答えられず考えてしまう。傷を魅力に変えるという美学なのかな。
修繕とコーヒーに参加して、身の回りのものは意外と自分の力で直せると知った。今日隣にいた人は服のほころびを繕っていた。たとえば私が持ち主だったら捨てていただろう。それを直すことで、その人はその服をまだ大切に着ることができる。
ひとつのものを直して、もう無いよなーと思いつつ家を探すと、傷んだものや壊れたものはわりとたくさんある。ひとつ直して、またひとつ直して。傷は次々現れてそれを修繕する。
ふだんの自分に、何かを直す余裕はない。何かを直している場合じゃないから。傷を横目に目の前のものを処理することでいっぱいいっぱいだ。そういうときは「大切にしようとすること」が、自分の負担になって大切にできなかったりする。
修繕したものたちを思い出す。欠けたところだけの金色、不細工な縫い目だけどまっさらな当て布……
傷つくことは無限にある。けどときどき傷を見つめて、傷のまま受け止めて自分なりに修繕する。そういう時間も必要なのかもしれない。
って、何度か修繕しながら感じた。……そう考えられるの余裕が、今の自分にやっと出てきただけかもしれないが。