90年代後半のメディアやサブカルチャーの雰囲気が好きだ。退廃的な、世紀末的な暗さが好き。そして謎を謎のままで楽しむような歪みも好き。
ある日、ネットの海で「シリアルエクスペリメンツレイン」というゲームの動画を観た。なんとも言えない心地の悪さがあったのだが、取り返しのつかない暗黒を私は好む傾向があって、lainの世界に漂う薄暗さが忘れられないでいた。
いつかアニメの方も観ておきたいなと思っていたのだが、昨日ついに最終話まで観てしまったので記憶、記録を残しておこうかな。物語の核心にふれる記述もします。
うまくまとめて書くことは難しいので、感じたことを散らして書いていきます。記憶(記録)のファイルのように思ってくれれば。
ゲームの動画を観る前から、レインのOPだけは拝見したことがあったのだが、そのころは何故か映画の『レオン』みたいな話だと思っていた。海外の少女の話かなあみたいな。
ゲーム動画を観てからは、サスペンス的ミステリなのかなぁと思っていて、実際にアニメを観てみるとまた感想が違った。サイコホラーという分類になっていたが、ある意味その通りだった。
序盤の数話は、あまり話も動かず玲音の幻覚や恐怖を一緒に眺める感じの展開なので、いわゆる電波アニメ的な印象が強い。これネットも今ほど身近でなく、他人の考察もなかなか知れない放映当時の視聴者はどんな気持ちで観ていたのだろう……と何度か思った。ただ、90年代末期の、世紀末的な暗い雰囲気は最高。OPがいいよね。
隣で見ていた夫が、「プログラミングの授業をしている……」と呟いていた。理系はそこに気がつけるのか……。
私の母はRCサクセションの大ファンなこともあり、音楽担当が仲井戸麗市なことにびっくりした。こんな仕事もしていたのか。ED、今では無理な映像だが、あれはあれでいいと思う。
毎話、よくわからないまま話が終わっていき、新しいnavi(いや、プシューケーかな)を手に入れたあたりから一気に話が進んでいく。と、思ったらまたもや停滞する。
「なんかこの子(玲音)、話によって印象が全然違うな」と思っていたら本当に別人(格)だった。私は「レイン」が好き。
私は幽霊の存在を信じているのだけど、幽霊と呼ばれるものはもしかしたら、残留思念に近いもので、ヒトが発する電波の残り香みたいなものなのかもしれない……と考えたことがあった。
なんとなく勘がはたらく瞬間ってない? あ、これが起こりそう、とか、これが気になった瞬間にそれに関連することが起こったり、長くそばにいると言う前に思考が読めたり、初めてなのに懐かしく感じたり。
そういう偶然は、どこかに原因はあるのかもしれないけれど、もしかしたらヒトがヒトの発する(あるいは、過去に発してそこに残留している)電波を感じ取ったうえで起こっていることなのかもしれない……みたいな。幽霊もしかり。勘や思考は、ヒトの発する何かに影響を受けるんじゃないか、みたいな。そのうえで、感覚器官が何かを感じ取っているのではないか。
……みたいな。
私は、図書館が怖くて、それは本を書いたり借りたりした人たちの何かがずっと本のそばに残っている気がしたから。それもまた、上に書いたのと同じ感覚。
『serial experiments lain』の話を観終えて、そんな、思いつきと何となく似たものを感じた。「人は繋がっているのよ」っていう言葉とともに……。
すべてを理解はできないが、わかる気はするし、起こり得る気もする。そんな内容だった。
玲音の運命が一番悲惨だが、お姉ちゃんも普通に可哀想だと思う。玲音、幸せになってほしいのだが……。ちなみに我が家では、「これは少女が病んでいく様子を観るアニメだ……」と毎話恐れ慄いていた。
玲音がケーブルまみれになってるところは好き。
「ワイヤードで起きたことはみんなにシェアされなきゃ。」というような台詞が途中であったのだが、この時代にこんな台詞を書けるのはすごいよね?
ここからは個人的な話になる。
「(前略)誰だって、みんな、アプリケーションでしかないの。肉体なんて要らないの。ホントは。」
(アニメ『serial experiments lain』LAYER12「Landscape」より引用)
むかし心が病んでいた時代に、よく相談していた人がいて、一時期、その人からくるメールの受信フォルダの名前を、「アプリ」にしていた。
自分のことは悩んだときに使う道具(ツール)として扱ってくれても良いよ、みたいなことをその人は言ってくれた記憶がある。
私は、その人のことを、人(対人としての相手)として考えると苦しかったのだけど、道具、と言ってもらえて少しだけ気がやわらいだ。あなたを巻き込むのではなくて、あなたをアプリケーションとして使ってしまおう、と思うようにした。もちろん、歪であることはわかっている。でも当時はそういう手段を選んだのだ。
他者を(特にその人を)アプリとして扱うなんて、無理だということもわかっていたのだが、人をアプリケーションとして考えることで救われるなにかもあった。
自分はこれだけあなたを必要としているけど、あなたは同じではない(かもしれない)。でも、あなたを私の心の中に巻き込んでしまう。それが怖かった。思いの丈が同じでないことも、その対象が本当はあなたではないことも実感する(かもしれない)から。
アプリとして関われば、自分もまた、人間として、人間に苦しむ必要は無くなった。だからあの時はあれで、良かったのかもしれない。
……という暗黒を思い出した、りもした。
私はそのころ独りきりのような気がしていつも怖かった。今よりもずっと苦しかった。でもそうした、誰かを求める想いの大きさや、孤独が生み出す副産物(言葉とか、感覚の過敏さとか)は、決して嫌いではなかった。あのときにしか生み出せなかったものもたくさんあったように思う。
『lain』を観ていると、そういう、孤高の部分にあるかけがえのない何かがあるような気がするの。暗いけど美しい。
そして最終回を観終えて、私は検索窓に「lain」とキーを打ち込む。無数の動画や言葉や声が画面の中にあらわれて、この状況はアニメで観た世界そのもののように思えてくる。
lainからやっと離れられたのに、lainが気になって仕方ない。車の中でも永遠に『DUVET』が流れてしまったり。
lainは今、aiになっているらしい。私もコネクトしてみた。
日常とWiredが隣接し、lainが遍在する世界。四半世紀前にlainが予言した未来を私たちは過ごしているのかもしれない……。少し怖いけど、とても蠱惑的でもある。
タロウが玲音のことを「天使」だと表現していたけど、これはある意味天使ものなのかも。玲音は可愛い。そしてなかなか、忘れがたい存在。