27日
「私はここ(職場)にいる意味あるのかな…」とつぶやいたら、帰る前に心配して上司が様子を見に来てくれた。すみません。
「ChatGPTが発展したら、将来私の仕事はいらなくなるの」というような話を上司はしてくれた。そう聞いてからモチベーションが上がらないらしい。私もだ。私の仕事だって、将来どころかもう終わりが近い。
「それでも(考えなくてもいい世界になっても)絶対教養はあったほうがいい」というような話もした。
自分で考えられる人になりたい。
ちょっと留守にしていて、仕事部屋に戻ったら香水のような香りが残っていて、あの人が来たんだなと思った。香りのほうが人を判別できるときがある。
パソコン作業ができなくて唸っていたら見かねた二人の人が助けてくれた。あのとき私にとっての神様だった。最近自分に余裕がないので、他者を助けるという行為が新鮮だった。
どちらの方も久しぶりに話す人だった。それもあって余計に嬉しかった。自販機のジュースをお礼に渡した。
28日
昼食を食べる約束をしていた人が、都合が悪くなり、悲しんでいたが別の人が誘ってくれた。しらす丼を食べた。
夜は練習。帰ってご飯を食べて気づいたら寝ていた。
29日
久しぶりに仕事場を訪ねてきた人がいた。
「久しぶりですね」と言ってくれていた。私はうまく言葉を返せなかったけど、こんな時に限って寝間着のような服だったけど。その人はすぐ帰っていった。
また別の、大好きな先輩も突然来てくれた。ピンクのスニーカーが可愛かった。話したのはほんのわずかだけど、元気そうで良かった。
私が部屋に籠もっていても、誰も訪れない日はなくて、それがなんだか面映ゆいというか、素直に言えば嬉しかった。
夜は練習。湿度がすごい。
ある人に頼み事をした。無理なら全然しなくてもいいので〜と言ったとき、
「いいですよ」と答えてくれたのだが、
その言葉は、時間が経ってもしばらく心に残っている。前もそうだった。
前に助けてくれたときも、助けてくれながら「ちょっと待っててくださいね」と席を外して、でも、待っててくださいねという言葉が、そのときはとても重要だった。
同じだと思う。
私がコミュニケーションのなかで咄嗟に感じる、去るかもとか、だめかもとか、不安になる部分に対して、答えてくれるから、言葉が心に残るんだと思う。
残るというか、心のなかに落ちたまま、そっと残っている。
〈私は日々読みたいものを読み、誰に感想を聞くこともなく、一人でその体験を味わっていた。思えば、そのときが人生で一番本を読んでいたのだ。本の話ができる友達など皆無。孤独だったけれど、私は間違いなく幸福だった。〉
(文月悠光『臆病な詩人、街へ出る。』より)
『洗礼ダイアリー』を読んだときは無敵大学生なのかと思ったけど(ひがみもあるのだが)普通のお姉ちゃんという感じがするのだった。
でも、詩人というだけで、なんだか変なバイアスがかけられて、大変そう。
普通にセクハラだしもっと傷ついてもいいのになと思う記述もちらほら。
「あれを読まなければ」「この作品を通らなければ」みたいなのが私は苦手で、だから上に引用した文月さんの考えにはそうだね……と思ったのだった。
本人に関するエッセイより、雨宮まみさんへの文章のほうが印象的だった。
雨宮まみさんの言葉も印象的だった。彼女の本も読んでみたい。
文月さんが言い返したり、答えたりしている会話の内容をみるとさすが文学者という感じがした。言葉で毅然と戦っているし、言葉でふわりと翻弄してもいる。
言葉を持つことは大切だと思う。
自分の言葉を。