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先日、夫と昔よく聴いたボカロの話をしていて懐かしくなり、帰り道に『ワールズエンド・ダンスホール』を聴いていた。
作者が死んでしまった作品って、どう触れても最後にその作者のことに想いを馳せてしまうよなあと思っていた。wowakaとか、鷺沢萠とか、雨宮まみとか、作品としてすばらしいけど、最後に必ず、いなくなった作者のことを思ってしまう。
なぁ、と思って帰宅して、夫とジャンプを読んでいた。今週の『暗号学園のいろは』(五十七話)はとても良かった。……と、感想をスマホで見ようとしたとき、芦原妃名子さんの訃報が目に入った。
えっ、とだけ声が出て、絶句してしまった。
芦原妃名子さんは、私が学生のとき『砂時計』という作品で大ヒットしており、私もリアルタイムで『砂時計』を読んでいた。
お願いだから杏は生きてほしい、そう思って最後の方は読んでいた。当時は『世界の中心で愛をさけぶ』を皮切りに純愛ものがブームで、漫画でも『砂時計』『僕等がいた』など、苦しいけど未来に向かう話が流行っていた。
でも『砂時計』は、ただブームに乗った作品というわけではなくて、その前から『Miss』や『ユビキリ』など(ごめんなさい、『蝶々雲』は未読なんです)芦原さんは傷ついた心にそっと薬を塗ってくれるような物語を書く人だった。
杏ちゃんの物語を見届けて、ほっとしたものである。
でも今はどうしても、「泡沫」のような、苦しむ話ばかり思い出してしまう。
『砂時計』の物語は波乱万丈だった。大丈夫になりそうだったのに崩れて、倒れて起き上がってまた崩れて、みたいなことを砂時計をひっくり返すように繰り返していく物語だった。
でもどこかで、現実は物語と線引きされている気がしていて、しているだけだった、ことに気づいたよ。
きちんとまとめることもできないけど。
(砂時計については以前の日記にも書いたことがあります↓)
https://ao26.hatenablog.com/entry/2021/09/20/192140
上記とは全く別件で、最近、あるものから距離を離している。離してみて、自分の心を満たしていた何かがなくなってしまった気もするけど、とても平穏になった。絶ち切るのではなくて離すだけ、自然になるまで近くに置かないだけ。大丈夫になったらまた目に入れて、だめになりそうなら見ないでおく。
そんな処置をときどき自分にしてあげることが大切なんだと思う。
30日は、エッセイを書いてみた。でも、本当のことを書くのに向いていないような気がした。書く私は現実の私との距離が取りきれないから。