本のある日記

本のある日記

日記・その時にあてはまる本・ことば・音楽。

人生2周め

17日
友人とピザを食べながら近況報告。
近況は憂鬱なこともたくさんあって、考えると一瞬気分が落ち込むが、もう仕方ないじゃん。と割り切ることにする。

18日
出張で以前の勤務先へ。だんだんと変わっていて寂しい。

19日
練習には身が入らない。なんだかそわそわして眠れなかった、理由はわかっている。

20日
誕生日。喧嘩する夢を見た。

誕生日だと人に言ったりしないけど、おめでとうと伝えてくれる人たちがいてありがたい。

なんとお花を貰った!大泣きする。
ピンクで、淡めで、と、作ってくれたらしい。うれしい。

夕方、生まれたころの時間だよ。と両親が連絡をくれた。大切な人たちがいてくれることが嬉しかった。少し前までは、自分はいなくなれば良かったのにと思ってやまなかったのに、今日は違っていた。
生まれてきて良かったと、とても久しぶりにそんなことを思った。
『ハッピーバースデー』であすかが、同じように感じる場面があってそれを思い出した。

〈お料理も最高においしかった。心もうれしさでいっぱいに満たされていた。それなのに、涙がとまらなかった。あすかは、冷たい水で涙を洗い流すと、鏡にうつる自分に向かって、とびきりの笑顔でいった。/「ハッピーバースデー、あすか。生まれてきてよかったね。」〉

『ハッピーバースデー 命かがやく瞬間』

夜はヤンフーでカレーを食べた。落ち着いた雰囲気で過ごせてほっとした。
ショーシャンクの空に』を少し観て、眠った。

31歳になった。人生2周目に入ったと思って、もう少しうまく、ゆるやかに生きていきたい。

眠たいままはなして/むらさきの花

このごろ夢に「ひと」を見る。

13日の金曜日
体調が悪く、そして雨の憂鬱。
夜にラーメンと鶏のたたきを食べたら、貧血と腹痛がひどくて起き上がれなくなり、泣いた。

14日
朝から夕方まで練習だったのだが、3人くらいに「元気がない」「心がここに無い」と言われてしまう。体調がまだよくなくて、でも練習はなんとか終わる。お菓子をもらって少し回復。
夜は出来ていなかった家のことなど。

練習は(正直)嫌なのだが、朝、練習に行ったとき、子どもたちが声をかけてくれて癒やされた。
そわそわして眠れなかった。

15日
朝、むさしの森珈琲でモーニング。サンポートのばら園を見に行く。きれいに咲いていた。
むらさきいろの花に心惹かれる。

港を散歩すると、島へ行くフェリーがちょうど出るところだった。何も考えずに船に乗りたい。
サンポートではマルシェがひらかれ賑わっていた。あんパンとじゃこ天を買う。カレーとベビーカステラみたいなやつも貰った。美味しかった。

実家に戻り、母にあんパンとじゃこ天を渡す。愛車はバッテリーを交換されて蘇っている。そのまま車検へ。待ち時間のあいだ、母と話す。

母を送り届けたあと、愛車を置き、買い出しに行ってから肉を焼く。
一日が終わると思ったとき、憂鬱の波が襲ってくる。急につらくなる。
「失踪したい」と、数年ぶりに口にした。
余裕がない。

16日
眠いことを除けば、まあまあ仕事は落ち着く。
しかし憂鬱。

「GWも無かったですし、どこか行きたいですね」と同僚のひとが言っていた。ビッチャーでみんなで飲みたいわ。できないけれど。
そのあと別の先輩と話していて、「飲みに行きたいです」と今度は私から言う。

わたしがこの人に言う飲みたい、と、あの人が私に言う飲みたい、では、同じ言葉でも全然重たさが違っているなと思った。
私の心の中における重たさね。
人と自分の気持ちが、言葉が、どこまで同じ重たさなのか知りたくなる。

上手にいろんな可能性を手放していかないと、大切なものが手からこぼれていってしまうことを知っている。何でもないように振る舞っていたい。何でもないふりをしていれば、期待しすぎて傷つくことも近づきすぎて壊すこともない。


好きだけど深く関わらないで、うまく逃げなければいけない存在というものがある。それをこのごろ覚えてきた。
現実ではどうすることもできない存在だから、私は彼らを夢に見るのだと思う。


『POPEYE ポパイ 2022年6月号 車があれば!』

植本一子さん撮影の写真があると聞いて、読んだ。まあそれはあまり関係なく、すてきな特集だった。車って可愛いしロマンチックだし、また流行ると思うんだけどな。これから。


〈あなたは近くて遠い人 悔しかった〉

夢のダンス

夢のダンス

他人だから、誰でも自分とは違う考えを持っているはずなのに、違いに気づいた瞬間、裏切られたみたいに絶望しそう。なのが、怖い。他人と関わるうえで最も。
でも違うと思うたびにもっと惹かれるのも確かなのかもしれない。

私は今なら詩が書けるかもしれない。かもしれない!

あやまる日/嫌いになるまで

9日
職場を出たのが21時だったような。

10日
お肉が届く。
ソローへ行く。みやわきさんに、いつ死ぬかわからないから、後悔の無いように生きていこう!と言われた。
2月に会ったとき鬱っぽかったから心配してたよと言われて、そうだったのか……と思った。
元気な自分でいるつもりだけど、そうでもないらしい。
次の人生では「表現」をしない。と、いう話をしていて(輪廻転生する前提)、私はどうだろう?やっぱり何かしらで残したくなるのかなと思う。そのとき感じたことや、忘れたくないことを。

11日
つらいことが決まるが、やるしかないよね。
職場を出たの22時〜つらい。

12日
なんか夢見から最悪で、とにかく一日中謝ってばかりいた。いろんな失敗をして、いろんな人に謝った。仕事が終わらなくて余裕がない。練習も休んだ。
仕事を途中で投げ出して帰りたくなった瞬間があったのだがなんとか耐えた。(帰るほどのことがあったわけではないよ)

はぐらかしたことが、やっぱり気になって後から謝った。誰かのせいになっていることも、恥ずかしながら白状して謝った。手伝おうとして逆に手間をかけさせてしまったことも謝った。
私が謝っても、誰も責めてきたりしない。
仕事も、とりあえず山場はひとつ終わった。

でも練習は休んだ……頭痛くて、仕事終わらなくて。事実だけど事実なのかどうかわからない。休みたかったんだよ。


「今日は練習?がんばってね」と連絡がきてつらくなる。休んだことを伝えると、
「そんなに気負わなくていいんだよ。いつも頑張ってるからたまには休もう」
と、メッセージが届いてけっこう泣いた。

好きな人と一緒にいればいるほど、どんどん嫌いになっていくのかもしれないけど、もういいと思うくらい、嫌いになるまで一緒に過ごしてみたい。と急に思った。唐突。

さんざんだったから、週末はがんばれるし良いことあると思う。

「……彼と離れていると、胸の決まった部分がしくしくと疼くの。虫歯みたいに。本当よ。私の心の中には彼のためにとってある部分があるの。……」
村上春樹『女のいない男たち』収録「イエスタデイ」より)

「ドライブ・マイ・カー」だけ、まだ読んでないの。読みさしで忙しくなって放置している。
でも、「イエスタデイ」のこの台詞は心に残っている。甘くもなく激痛でもなく、じんわりと心を蝕んでいる絆ってあるよ。
「木野」の話が好きなのだが、もやっとする。どういうことなのか誰かと話し合いたい。







今週のお題「サボりたいこと」

連休編(下・ブルー)

4日
朝、練習。帰りにユニクロで服とか買いました。あとは覚えていない。肉じゃが作ったような。

5日
朝、練習。まだ(練習が)続く感じだったけど、定刻で帰る。仕事みたいになってきたな。
異動になった同僚さんと待ち合わせて、カフェBostonへ。スペアリブカレーおいしかった。
星乃珈琲店で話し込む。パンケーキおいしいけど解散したら夕方で少し疲れた。みんな幸せになってほしい。

6日
仕事!なんだかテンポがつかめない。これが連休明け。しかも帰り際に、コロナについて憂鬱な報告を受けた。がーん……帰ってすぐ寝た。

7日
朝、練習。練習しすぎやろ。
昼からも練習だったが、諸事情により行かなくて良くなったのでフリー。本をたくさん売りに行った。自分の細胞を失くすような、魂を捨てるような気持ちだったけど、まあ、断捨離していこうと思う。
日向ぼっこしていた。植本一子さんの『働けECD』再読。

端々に陰りはあるけど、『かなわない』に比べたら全然明るい(ように思えるのは表紙のせいなのだろうか?)。もう十年以上も前の本なのだなあ。

夕方、スタバに寄った。昼と夜はキーマ風カレー。
明日のことが憂鬱で仕方ない。なんだか一人で泣いてしまうほど。

8日
まあ仕方ないね、と思いながら会場へ向かう。あまり深く考えると駄目だと最近気づいた。
13時くらいで習い事を抜け出し、あまりにお腹が空いたのでお寿司を食べた。ジャンクショップにも行く。テニスラケットを1100円で購入也。
しろくまのアイスを買って帰って食べる。メロンソーダ味美味しい。
涼しさのある夏みたいな空気だった。早めにお風呂に入って、これからどうやって生きていくかの話をした。

連休も終わりに近づくとみんなブルーになっている。
エリオット風に言うと、"五月は残酷な月"。

連休編(過程)

5/2
朝だけ出勤、働くみんなを後目に職場をそっと去り(有休)高知へ。
旅行は久しぶりでドキドキする。

まず、かつおのタタキを食べに南国市にある「たたき工房」へ。お店の人は大変そうだが、タタキはたいへんにおいしい。感激。タタキーホルダー買う。

その後、牧野植物園へ。植物園に行くのは実は初めてかもしれない。大きな温室があり、『エマ』のワンシーンを思い出した。四つ葉のクローバーを探したり、ロサ・ギガンティアで盛り上がったりした。牧野富太郎はあんがいだめ男らしいと知った。(奥さんが良くできた人ともいう)

桂浜で夕焼けと波打ちぎわを見て、宿へ。マルシェゆすはらに宿泊する。到着が少し遅くなってしまい、晩ごはんどうしよう……と思っていたが、近くで開店していた「ダイニングバーサライ」へ。ご主人もママもたいへん良い方で、三線の演奏を聴きつつお酒の席の遊び方を教えてもらった。何よりごはんがおいしい……。あの夜のホタテの美味しさ忘れられない。

「雲の上の温泉」へぎりぎりで到着。サライのご主人にはとてもお世話になった。(色々と梼原町の話もしてくださってありがたかった)
温泉も久しぶり。
ぽかぽかになり、再び宿へ。隈研吾の本を読んで寝る。
まったく関係ないことで、ずるいと思わない?という話をした。

3日
朝、宿の部屋の引き出しを開けるとミレービスケットがお茶請けとして入っていた。お茶を入れて、それを食べて、隈研吾の本を引き続き読む。
ホテルの一階はマルシェになっており、D’a Pan屋(だっぱんや、というパン屋さん)のサーターアンダギーとチーズパンを購入。ジビエアヒージョの缶もお土産に購入。
そのまま、散歩をしていたら、今回の旅の目的だった「雲の上の図書館」にたどり着いてしまう。朝ごはんをそこで食べる。(イートインスペースがある)

そこから二時間くらい、本を読んで過ごした。心理に関する本、サブカルに関する本、エッセイ、子ども向けの本、など。ヤングアダルトな感じの本が自分は好きなんだな、となんとなく思った。装丁もかわいいし、内容も希望や夢が詰まっているからかもしれない。

人間工学の本も面白そうだった。

図書館は、写真からイメージするほど広くは無くて、本(棚)の数もそれほど多くはないのだが、なんとなく隠れ家のような秘密基地のような、隠れてしまえそうなところがいいと思う。
ひっそりと本を読んでいられる。

外に出ると山の緑がきれいだった。

お昼ごはんに行きたいが、行きたい店が開いておらず、とりあえずカンズヒュッテというコーヒー屋さんに寄ることに。
コーヒーとマフィンを食べた。偶然ここには「書林くものうえ」という無人経営の書店があり嬉しくなった。餃子の無人販売も人気だし、書店もそのうち無人販売がメジャーとなるのかもしれない。

セラピーロード(と呼ばれる散策に適した山道)を目指して車を走らせる。「シェ・ムワ」という、魔女の宅急便に出てくるようなパン屋さんがあり、玉ねぎパンとあんぱんを購入。パンばかり食べているが……。どちらもおいしかった。シェ・ムワの響きが私に「シェンムー」を思い出させた。

いつかやってみたいんですよね(セガサターン版をね)

セラピーロードがすぐそこにあるのだが、なんと全面通行止めらしい!がーん。
少し疲れて、近くのベンチで休む。すぐ下には崖があり、川が流れている。断崖絶壁の地面には美しい花が咲いていて、緑も花も風もきれいすぎて、三途の川に来た気持ち。

「ここから飛び降りたいと言ったらどうする?」
と尋ねたりした。自分で口に出してから、すごく久しぶりにこんなこと(飛び降りたい欲求)を考えたなって思った。多分最近の私は健全なんだと思うよ。

息をととのえて、高知市へ戻る。
高知の蔦屋書店で、マルシェのような夜市をしているらしい。そこへ行くことに。
夜市はたいへん賑わっており、そこだけコロナ禍前の世界みたいだった。それがいいことなのかそうでないのか私はここには書かないけれど、人々はみなとても楽しそうで、もちろん私も同じだったと思う。
ヒビヤレコーズさんの、土佐のあかうし煮がものすごーくおいしくて感動した。縁側でイカの串食べたり冷たいクラフトコーラ飲んだり、夏祭りみたいな夕べだった。

帰りに狩野英孝マクドナルドのバーガーを食べくらべする動画を見て、むしょうにマックに行きたくなる。
無事香川に着いて、少し大切な話をして、解散した。旅はいつも最終日の前の夜からとても寂しくなる。でも寂しさは永遠には感じられないものだとも思うから、寂しさも大切に感じていきたい。うまくいえないけど。
学校に行きたくないときは、家から学校まで行くあいだがいちばん嫌だった。
人と離れたくないときも、人と離れて家まで帰るあいだがいちばん嫌だった。
過程がいちばん辛くて、そこへ行ってしまえば(過程を通り過ぎてしまえば)苦しみはやわらいで脳が環境に順応していく。そうじゃないときもあるけど。
だから、過程がつらいというだけだから、健全になるためにずるずる一緒におらずに解散しようよ。と、話した。たぶん。




隈研吾『建築家になりたい君へ』

丹下健三の名前が出てきて、おおーとなった。
隈氏はわりとスパっと、キライなものはキライ、スキなものはスキとはっきり書かれているので、そういうところが面白かった。
あと、罪を背負っている感覚というところが、なんだか印象深かった。

『エマ』

アニメを見ていたのはもう遥か昔のことなのに、温室に入った瞬間ありありとその場面のことを思い出した。作品ってすごいな。