その時間の終わりにはきまって短い会話があって、いつもそこで何かを確かめている。何かってはぐらかしているけれど、「あなたにとって私が大丈夫かどうか」ということなのかもしれない。
でも他人と自分のあいだで交わされる会話って、だいたいそんな目的があるようにも思う。いつも何かを確かめたい。
5日
練習後、帰宅して呪術廻戦のアニメを見る。久しぶりにリアルタイムでアニメ待機をした。青春がテーマでなんだか眩しかった。五条先生、同世代なんだよね。
7日
仕事、そして習い事の練習。やっぱ練習するの大事だね!って先生が言ってた。少しは上達したかな?
8日
朝は通院(背中の)、そして練習。どんだけ練習するの〜って感じ。昼も夕方も練習。よーやるわ。翌日の行事のためにこんなに必死になって練習しているのだが……家庭は崩壊寸前(私が家にいないので)。
緊張してあまり眠れない。
9日
大事な用のある日。無事に終わってほっとする。自分の成果もある程度出て嬉しい。
ご褒美に帰りはスタバに寄り、塩バターロールと抹茶フラペ。最高の夕べ。
10日
仕事もさんざん、プライベートもさんざん。帰宅時間もさんざん、体調もめちゃめちゃ。忙しすぎて、仕事が回らない。クソみたいな月曜日だった。
忙しいとは心を亡くすと書く、と『魔探偵ロキ』の鳴神くんが言っていた。余裕が無くなると配慮もなくなって、自分の発言に後から失望した。
帰宅して絶望していたら、旦那さんが「ジャンプでも読もう」と言ってくれて私はめそめそと泣いた。
11日
昨日よりはましだけど、気候も昨日よりはましだけど。仕事もちゃんと、しているけど。帰宅時間は遅いばかり。ままならない火曜日。
年下の男の子と恋の話をした。あなたは私に似ているから、過去に傷を擦り付けるよりは早く新しい標的を見付けたほうが健康的だと思う。執着は心に悪い。
「怒ることがあったら今度から、ここに電話をかけてすぐ無言で切ってください」と職場の人にからかわれる。本当にそうしたら、どうなるのだろう。受け入れてくれる?それとも呆れる?私は後者になるのが怖いよ。
家庭もギスギス(とあることでお互いに譲れなくなり空気が悪くなった。さっきまで、別の部屋で過ごしていた)。
余裕がないし、時間がとれない。ああ、ちょっとゆっくり過ごしたい。
〈じぶんのためだけにあったはずの大切なものを、店のBGMとして一日八時間、嬉々としてかけつづけているうちになにかが干上がっていって、ある日、音楽が他人ごとのように響きはじめる。これは私だけがわずらった病だろうか。それとも職業病?〉
(三品輝起『雑貨の終わり』収録「釣りびとたち」より引用)
雑貨屋さん(おそらくそう)のエッセイ。お店や雑貨のエピソードというよりは、日常で感じたこと、過去の出来事など、ほんとに「随筆」といった感じの本。
ただどの段落も根底には雑貨の二文字があるというか、どこか統一感があって、店に並べられたものたちみたい。
通っていた雑貨屋さんを思い出した。
そして、登場人物がたくさんいる。人間のことがたくさん描かれている。
お店をするということは無機物を扱っていても、有機物(人)とかかわっていく仕事である。ということの表れであるし、どんなに好きでも無機物は無機物で、その虚無に惹かれるしその虚無が自分にのしかかってくるときもある。みたいな気持ちも感じられた。
私は本が好きだけど、本は所詮モノで、そのことを時々思い知らされる。
本は時々、私にささやいたりはすれど、私と本当の意味で交じり合うことはない。
本は本で、そこにあるだけなのだ。
本に特別な思いを持っているのは生きている私の方だけだし、まわりの人間たちだけ。
私もそんなことを時々、思い知る。その瞬間、本はただのモノになって、私を救ってくれなくなる。そんな絶望をするのは、ほんの短い時間ではあるのだか。
私は本を通して他人を見ているし、本を言い訳に他人とつながる。
でもモノには力もある。モノ自体も私は愛している。だからお店は魅力的。以上、私が本を読んで思い出してしまったこと。
最後のおばあちゃんの話は普通に涙が出た。もはや文学だった。一生はきっと短い、嫌だな。