本のある日記

本のある日記

日記・その時にあてはまる本・ことば・音楽。

アーカイヴ

「この夏休み、思い出深かったことは?」

「家が最高ということ…」

 

家族と合わせて夏休みをもらい、遊べるだけ遊んだ夏でした。休暇を終えた家族の感想は、やっぱ我が家が一番。とても休めるからだって。

 

15日

遊びに行って、台風で泊を延ばす。銀座蔦屋のスタバに寄ったが、席が広く、とても過ごしやすかった。騒がしいのは騒がしいのだが、あまり気にならない。あのうす暗さがいいのだろうか?香川にもああいう場所が欲しい。

 

16日

平和に帰るはずが、大雨で新幹線が運転見合わせ。予約時間を変更しどうにか新幹線に乗りこんだものの、博多行のはずの車両は岡山まで行かずに新大阪で停まるという。あわてて高速バスを予約。そして駅で電車が何台も詰まっており、京都駅付近で動かなくなる。このまま乗り続けるか(通常では15分程度で京都から新大阪に着く)、降りて在来線で乗り換えるか、決断を迫られる。車掌さんの苦しげなアナウンスを聞き、結局降りることにした。関空行きの「はるか」に乗り大阪駅へ。ぎりぎりバスに間に合った。あのまま新幹線に乗っていたらアウトだったらしい。ありがとう車掌さん……。京都駅まで乗せてくれてありがとう東海道新幹線……。

香川に着くとそれまでの一日が嘘のように街は静かだった。車に乗った途端、雨が振ってきて、雷雨の中帰った。家に着いたのは深夜1時をまわっており、お風呂に入って倒れるように寝た。無事に帰れてよかったね。

 

17日

朝から習い事の練習へ。帰ってぐーすか寝て、夜も練習。

「うーん」(そんなにしなくてもいいのに……と苦言を呈された)

 

18日

神戸にでも行こう!と話していたのに、疲れてしまい昼から夜まで眠りこける。つらくなって夜はお寿司。遊びほうけてるね。

 

19日

朝から夕方まで練習。一週間くらい休んでいたがあまりブランクを感じなかった。ちょっと手を抜くくらいがいいのだろうか。

夜は、習い事に来ている方から「焼そば焼くんでお祭り来てください」とお誘いを受け、小さなお祭りへ。えっ、ほんとに来るんですか?と言われたが行った。アナウンスによると4年ぶりのお祭りだという。浴衣の人、子ども、近所の人……この土地にこんなに人がいるなんて、というほどにぎわっていた。焼そば、フランクフルト、お好み焼き、焼き鳥を買って座って食べた。懐かしく、それでいて新鮮な気持ちだった。

帰宅後、先日のぐーたらの反省を活かして明日のスケジュールについて相談した。

 

20日

神戸には行けなかったけど大阪へ行こう!ということで、朝から出発。

梅田駅は学生時代を思い出す。就活中、梅田ダンジョンに阻まれ間に合わずあきらめた説明会。友人と会うときに待ち合わせた梅田駅、ゼミ飲み会も梅田駅。香川から帰洛するときに三宮から阪急に乗ると十三で停まるけど、梅田からなら座れたのになぁ……とよく思ったことなど、思い出す。

最近、学生時代に思いを馳せる機会が多い。本当はあのころ親しかった人たちに今も会いたいけど、自分の中で特別なところにある思い出に再び触れるのが怖いという部分もある。大切なものからは上手に距離を取っておきたい気持ちというか……。そして懐かしんだところであのころと同じように過ごせない予感もするのだ。そんなの関係ねえ!って言える人間になりたい。

 

大阪は見るものも食べるものも遊ぶものもたくさんあって楽しかった。が、淡路島を越えて四国に入ったときのあの特別な安心感は何なのだろう。あの海のおだやかさ。

東京に行ったときも思ったけど、都会では途方もない豊かさに心が折れてしまいそうだ。図書館の本のように際限がない。その果てしなさに苦しみそう。都会よりも私はやっぱり四国が好き……。

 

(助手席から撮ってもらった)

 

明日から社会復帰。無理しない。

 

「日記は記述 詩は描写」

(フジテレビ『まつもtoなかい』8/20放送 宇多田ヒカルの言葉より)

Gold  ~また逢う日まで~

Gold ~また逢う日まで~

  • provided courtesy of iTunes

※記憶を頼りに書いているので、原文ママではありません。

 

描写はディテールが現実と一致していなくてもかまわない…というようなことを宇多田ヒカルは言っていた。現実と一致していなくてもいいけど、例えばただの電話のベルではなく「七回目のベル」というふうに、ディテールがあればより良い詩になる…とも。うまく説明できないが、聞いていて面白かった。

わかるような気がして、私の日記は逆にディテールをぼかして記述している。「わからなくすることで都合よくしている」部分が大いにある。それで自分を守っているし、自分だけにはわかるようになっている。小説や詩を書く時も一緒で、現実が加工されて散りばめられていて、それは現実そのままではないのだが、読めばあのときのことが反映されているんだなって、どんな昔のものでもだいたい思い出せる。私の記憶をひらく鍵。

宇多田さんはいま興味があるものがAIで、AIが表現の部分に踏み込んできたので興味がでた、というところも、なるほどなあという気持ちで見ていた。(けれどAIが書いた詩【詞】を「浅いですね」と一刀両断したのを見て、なぜか安心した。)

話を聞いていると、なんだかお母さんと同じような人生を描いている気がしなくもない。宇多田さん、ずっと歌を聴かせてほしい。