急に大雨が降って、遠雷が聞こえて、朝夕は涼しくなって、夜九時の書店にも名残惜しそうな子どもたちの姿。夏休みの終わりを感じる。
22日
前職の先輩とご飯。結婚祝いをいただいた。
23日
夜はコメダ。先日、銀座にあるキムラヤのパンでビーフシチューを食べたので、コメダのビーフシチューと比べてみよう!という企画。
旦那さんは仕事で疲れているらしく、あーうーと言うばかり。
24日
ひたすら仕事部屋の片付け。
一応、同じ所轄(困ったときに頼る上司)の先輩がいるのだが、思うようにコミュニケーションがとれない。
夜は習い事、今週しんどかった。帰宅したら旦那さんも元気ないというか病んでいた。仕事がうまく行ってないらしい。
25日
ドラマに出演する夢を見た。ふるまいの粗相が多すぎて、人に見られる仕事は無理だと思ったところで目が覚めた。
仕事部屋に内線電話がかかってきた。かけてきた人は直前まで誰かと話していたらしく、電話に出たときも受話器の向こう(令和になってもまだ、受話器の向こうという表現が使える!)で話し声がしていたので、少し黙ってから「もしもし」と言うと、あははという笑い声とともに「何も聞こえないからどうしたのかと思いましたよ」と言葉が返ってくる。相手も私も名乗らなかった。
相手はじつに爽やかに、
「借りてたものを返そうと思うんですけど、どうすればいいですか?投げつけたらいいですか?」と突拍子もない言い方で尋ねてきたので、
「投げてください、私が打ち返します」
と答えた。なんだろう、普段は堅いのに時おりはじけるこのコミュニケーション。時々ある乱暴。
仕事部屋を整理していたら十数年前の社内報が出てくる。職場の人が好きな本を紹介するコーナーがあり、先日うまくコミュニケーションがとれなかった先輩の文が載っていて、本多孝好の『MISSING』が紹介されていた。
あ、この本なんだ……と思って、先輩に見せた。そこから数時間後、ふいに先輩に話しかけられた。
「さっきの本の作家さ……一時期すごい好きだったんよね。あれ見て、懐かしいと思って」
「私もです。あの本の中にある、窓の出てくる話わかりますか?窓の灯を見ると人間は二種類に分かれるっていう話。私あの話が好きだったんです」
「覚えてないけど……好きだった女の子が成長するに連れてどんどん普通の子になっていく話。あれが好きだった」
「それ、「瑠璃」ですか?」
「そう」
こんな話で盛り上がった。『MOMENT』のあらすじが一切思い出せないこととか、『正義のミカタ』のラストに唖然としたこととか。本の好きなところを話すとき、思いがけずたくさん喋ってしまった自分が少し気持ち悪かった。でも本ひとつ共有するだけでなんだか嬉しくもあった。
夜は街の定食屋でごはん。旦那さん、元気回復していた。ごはんのあと、ビールルームとりかごでゆったりドリンクを飲んで少し歩いた。
「高いところから夜の町を見下ろすとき、みんな似たようなことを考える。あの小さな灯りの一つ一つに、知らない人のささやかな、それでもかけがえのない暮らしがあるんだって、そんなことを考える。でもそのあとは二通りに分かれる」
(本多孝好『MISSING』収録「祈灯」より引用)
気になりすぎて、帰宅後読んだ。
角川からも出ているのだが、双葉文庫の、この儚げな表紙が一番好き。京都にいるときに駅の書店で買ってバスの中で読んだ気がする。そして、まったく窓ではなかった。窓なんて書いていなかった。灯りだった。でも変わらずいい場面だと思う。
私は、三通りに分かれると思う。
怖がる人。
「祈灯」が一番好きだが、一番記憶が鮮明な話は「瑠璃」だった。ルコという女の子は、今でも強く心に残っている。