本のある日記

本のある日記

日記・その時にあてはまる本・ことば・音楽。

波立つ心でつくられるものが好き

中学生のときに不思議な夢を見たことがあり、その内容を忘れたくなくてノートに書いた。

そのあたりがはじまりで、時おり、特別なこと、忘れたくないことを記録につけるようになった。

高校2年生のとき、好きな人ができたり友人との関係、部活動の悩みなどで毎日心が忙しかった。だからやっぱり、忘れたくない出来事や言葉は日記として残すことにした。日記帳は100円均一で買ってきたノートだったりして、表紙は何でも良かったのだが、サイズは決まってA5にしていた。その小さな紙面に好きな写真や歌詞を書き留めて、同じように日々のことも綴った。

言葉と出来事を合わせて書くようになったのはこの頃からだと思う。出来事と、それにともなう、心に残るフレーズ。

高校卒業間近、はじめて自分だけの携帯電話を持った。それまでは家族と電話を共有していて、そのころは学校から帰った夜の少しのあいだだけ、好きなサイトやブログを読むのが楽しみだった。

液晶画面の中の日記では、誰かわからない人の日々が綴られていて、時に家出して散歩していたときの記録だったり、学校での何でもない会話がどこかの小説の人物たちの台詞のように日々更新されていたりするのが、読んでいて楽しかった。いつもあこがれながら眺めていた。

だから携帯電話を持ったら一番してみたかったことは自分のブログを持つことだった。トップページはこうして、とか、この言葉を置いて、とか。どんな色合いのどんなデザインにするかをいつも妄想していた。

そしてブログを始めたものの、すべてをあけすけに書いて自分だとばれてしまうのは嫌で、自分の思考がすべて漏れてしまうのも嫌で、抽象的な表現にいつもとどめていた。それでもどれだけぼかしても書けないことというのはあって、いくつかブログを持っていたりもした。いろんな私として棲み分けるための場所を作っていたのだと思う。

大学生の途中からTwitter(現X)を始めた。そこからは、ブログも書くけどとりあえずTwitterに何でも書いていた。

それまでつけていた日記やブログは、ある程度出来事から時間が経過して、感情がやや離れてから書くことが多かったけど(正確には、ブログは「日記」と「リアル」という項目に分けていたので、すぐ更新することもあったが)、Twitterは瞬間瞬間、刹那の記録だった。

出来事も、なにかの感想も、とりあえず置く場所がTwitter。周りの反応も早く、そのレスポンスで一時的に心が満たされた。Twitterはとてもオープンな場所で、Twitterきっかけでいろいろな人とやりとりするようにもなった。そのとき知り合っていまだに仲良くしてもらっている人もいる。

ただ、コミュニティが大きくなるにつれてときどき疲れた。あいさつ代わりに毎日同じフレーズをやりとりするのも嫌だったし、自分の言葉なのに簡単に遡って探すこともできないし、自分も人も誰かの反応を待って永遠に同じ内容の同じ言葉を話している気がした。

何かを感じて思ったことを、きちんと言葉にする機会が減ったように思った。

当時、私はちょうど社会人になったころで、仕事はけっこう激務で一日中職場にいることもざらではなかった。学生のころは食堂でも歩きながらでも本を読んでいたのに、仕事を始めてまったく本(小説)が読めなくなった。そして、仕事を終えても家に帰るだけ。創作も好きだったのにまとまって書く時間が減り、もはや言葉から遠ざかりつつあった。

そして社会人二年目の年明け、印象的な夢を見た。それを残しておきたいなと思った。自分の記憶を自分の言葉で、自分の思考で書いておきたかった。その日からまたブログを始めることにした。日記をつけるきっかけはまた夢だった。

Twitterは消した。当時は仕事で心が病みはじめており、失踪したくて、すべてのコミュニティを断ち切りたかったことも大きな理由だったが、一番はSNSより狭い世界、もう少し閉じた世界で、もう少し長い言葉を綴りたかった。

物語を読むことも、物語を書くこともできなくなっていたけど、この日記だけは続けようかなと思った。日記をつける作業は私にとって、文を書くためのリハビリでもあった。

それから一年ほど経って、仕事を辞めた。

当時の仕事を辞める間際あたりから、私は不良化計画を考え、それを実行することにした。当時、上司とうまく行っておらず、ある日とうとう我慢できなくなって仕事を抜け出し職場のトイレで泣いていたのだが、そのことを言える誰かが私には誰もいなかった。自分が、いざというとき誰のことも頼れなくて、そして誰も助けてくれるほど近い存在でもないのだと思い知った。

そこから、自分を大切にしすぎるのをやめて、少し解き放ってみようと思い始めた。別に突然でもいいから、急でもいいから、誰かに近づいて関わってみることにした。

髪もばっさり切って、男の子みたいになりたかった。でも真逆で女性としても扱われたかった。外見も人との関わり方も変えたかった。よくわからないけどそれが不良化計画。当時の日記にも不良になりたいと書いている。

他人に対して今までより深いところに近づいて、とにかく今までと違うものになりたかったし、自分だけ助けてくれる誰かが欲しかった。

しかしその計画を契機に心はますます暗いところへ落ちていくのだった。自分を守ることをやめたから仕方ない。計画を実行しないほうがきっと幸せだったけど、実行したことで出来た傷跡の痛みで今、生きられている気もする。

 

途中、本当にまずい期間があって、いよいよ日記も書けなくなったのだが(手紙は書いていた気がする、その相手に読んでほしかったのだと思う)、それでも数カ月後には再び日記をつけはじめた。ずっと書かなくなる、ということはなかった。

余裕がなくなっては書かなくなり、時間をおいてまた書き始める。そういう繰り返しだった。

そして四年前、異動で職場が変わり、二十代も気がつけば終わりを迎える時期だった。

そのころ、ブログの母体をはてなブログ(このブログ)に変えた。現在のブログをはじめたころはまだ、自分の中に不安定な部分が多く、そういうときは長文を綴ってきたと思う。なんでもないときも、大変なときも、いつも忘れたくない何かを記録として残してきた気がする。

私のブログは抽象的なので、あとから見返すとなんだったのかわからない部分もあるのだが、だいたいは鮮やかに蘇ってくる。言われて嬉しかった言葉、覚えておきたい出来事を、私にだけわかる暗号で残している。

 

過去のブログの最後の記事を読むと、「他人がいないと何も書けない」「書くことで生きている」と綴ってあった。

もう今はそこまで、日記に対して真剣ではなくなっているが、生きていく限り残していく言葉も続くのだと思う。

 

今は、紙の日記はほとんど書かなくなった。でもときどき、深夜のマックで資格の勉強をしていたときにノートに綴った乱暴な言葉のこととか、本当のことだけ実名ではっきり書きたくてノートに残した幸せとか、思い出す瞬間がある。手書きの言葉はいつも特別な記録。

 

心が波立つとき、言葉にすると落ち着く。そして、残った言葉をあとから読み返すのが好き。波立つ心でつくられたものが、私の生み出せるものだから。

 

日記を書く自分について思考すると、つらかったころのことも思い出してしまうので普段はあまり深く考えないようにしているのだが、それではいつかすべてを忘れてしまう気がしたので、この機会に書きました。

 

 

 

 

特別お題「わたしがブログを書く理由