出掛ける直前になって、とつぜん決めていた服を止めて真っ黒い服に着替える。
黒いけど、駄目だめだった月曜と火曜よりやる気は大丈夫。晴れてるし。なんとなく靴もいつもと変えていく。
職場の人が、そのスカートいいですね、と言ってくれた(ある人からは魔女と言われた)のだけど咄嗟に言葉で返せなくてしぐさで返したら(どんなんだよ)、それをこっそり見ていた別の人に後から真似された。みてたのね。
真似したのと同じ人から、さっきあいさつしたとき顔死んでましたね、と言われた。さよならしか言えないからですか?とも。ちゃんとおぼえてるのね。
さらにその人から、あなたが本音で話せるのは◯◯さんと◯◯さんと私かな?と当てられる。そうです、と認めたら、御三家!と笑われた。おみとおしだね。
その人と文章についての話をしていて、自分で書いた文章が全部恥ずかしいものに思えるって言ってた。わたしのこの日記を見せてあげたいわ。
上司にあたる人から檸檬をもらう。
尾崎放哉のように〈いれものがない両手でうける〉という状況だ。思っていたほど檸檬はつめたくなかった。なんにしようか。
〈『檸檬』にはほぼおなじストーリーの習作の詩片があり、最初の一行だけ檸檬にレモンと振り仮名があって、あとはぜんぶレモンはレモン。それが、『檸檬』になるや、すべて振り仮名のない檸檬になる。漢字畏るべし。『檸檬』を稀有の傑作としたのは、檸檬という、きわめて稀有な漢字のレモンだった。〉
(長田弘『ことばの果実』「レモン」より)
これよ
これなのよ
私が学生のとき、模試ではじめて『檸檬』を読んで好きになったのも、大学の図書館ではじめて梶井基次郎全集を読んだとき思ったのも、これ!
レモンはハチミツと同じで、日本語でも英語でも漢字でもひらがなでもカタカナでもオールOKの言葉だと思っているのだけど、でも『檸檬』という物語は檸檬だから檸檬なの。檸檬だからいいの。
そしてそのことにたぶん梶井基次郎は気づいている。文字の散りばめかたが好き。
長田弘はやっぱりものすごい。私が『檸檬』を好きなわけもこの短い文章の中にすべて詰まってる。
長田さんは前から好きな作家で、でもこの本はたまたま置いてあって読んだ本だったけど、すごく良かった。トマトについてもすごく好き。
長田弘さんの本、いろんな人に読んでほしい。
ちなみに、引越ししてから部屋に檸檬コーナーを作りました。
最近、自分としてはものすごくきちんと働いているんだけど、このまま持つのかなあ。このまま突き抜けたいなあ。
〈部屋にひとりで居たいわけじゃなくて/知るのが怖いの〉
Tommy heavenly6『Heavy Starry Chain』
このMVが一番可愛いと思う(2番目はRUNAWAY)
やっぱり何回聴いても、しぬのがこわいの、って聞こえるけれど。
また長く書いてしまった。また恥ずかしいことばかり書いてしまった!
今日、京都にいる先輩から久しぶりに連絡があって「ブログはじめたので読んでください」ってとても言えなかった。恥ずかしいから。教えられる人と、教えられない人と、なぜいるのだろう。そこに世界の秘密がある気がする。
文章にしても、理想の文章になりきれないところに私の本質が出ているはず。