結局、手紙は書けなかった。言葉にしようと思うと息が詰まる。
私は何を伝えたいのだろう。自分が可哀想だということを知らせたいわけではないのだ。
21日
仕事が終わらない。
誰よりも「それ」に向き合っているはずなのに、「それ」について紹介しようと思うと全然上手くできない。
言葉をうまく尽くせない。言葉にだって、いつも必死にしがみついているのに。
冗談を言ってくれる人のことが好きで(人として好き)、いつもなにかを言ってくれるのをひそかに楽しみにしていたのだけど、今日はただ、他の人に言っているのを遠くから眺めているだけだった。
「だれかと話したいからあなたはここに来たのでしょう?」と先輩から言われて、みかんをもらう。
そうです。でもそう思ってもいいでしょ。
だって普段は、あなたたちのように、当たり前に人がそばにいないのだから。
「久しぶりに合う気がするね」と上司の人に言われて、「顔を合わせてほっとした気持ちになった」と言われた。
年下の女の子は、窓際から大きく手を振ってくれた。
遠ざかったり、簡単に近づいたり、他者との距離感に感情がいつも追いつかない。
それは、私の感情とは関係なくみんなが生きているということの裏返しでもある。
それが時々とても淋しい。
〈ああ これはなんといふ憂鬱な幻だ/このおもたい手足 おもたい心臓/かぎりなくやましい物質と物質との重なり/ああ これはなんといふ美しい病気だらう〉
(萩原朔太郎 詩集『青猫』「恐ろしく憂鬱なる」より引用)
詩っていいよね。すきまに入り込めるから。