言葉にフェティシズムを感じてしまうたちである。人間は苦手だけど、人の言葉にはときめいてしまう。
とくに(言葉を選ばず表現するなら)男性的な、飾らない、ねらいのない文章が好きだ。先日職場の人が書いたレポートを読んでいたらちょうどそのような素敵な文章で、思いがけずときめいた。その人にわざわざ、良かったです。とまで伝えてしまった。
そうしたら、「(最近仕事が)大変そうだけど身体大事にね」とねぎらいの言葉をもらってしまい、少し反省した。私は自分で思うより周りが見えていないのかもしれない。
けれどその文から触発されて、私も久しぶりに言葉を綴ってみた。あまりうまく書けなくて、なぜ自分の身体で書いているのに、心で思う通りに書けないのだろう。と翌朝、落胆した。
それは先週の金曜頃のことだったと思う。
そして今日は、また別の人が書いてくれた言葉を見た。
言葉を見ると、なんとなくその人のことが少しだけ理解できるような気がする。自分が描いている人物像との答え合わせをしているような、後ろめたさもある。
でも、筆者の実体を知ってしまっているぶん、あの態度は本当なんだ、とか、こんな風に思考するんだ、とか、思って安心する部分もある。ギャップに嬉しくなることもある。怖いですね。
私も何かを書きたい。
以下日記
5/9
長い時間外にいたら、身体が熱中症のようにだるくなってしまった。
12日
結婚式の写真が届いた。私は美しくなかった。でも幸せそうだった。結婚式楽しかったな。
赤ちゃんが生まれたという報告をいただいた。
13日
昼は仕事、夜は悪友とraiでご飯。もうすぐ結婚するとのこと。彼氏さんも紹介してもらった。彼氏さんはキラキラ男子だった…。本当によかった。
14日
久しぶりのなにもない日。だが、少し出かけただけなのに疲れきって、帰ってぐっすり寝てしまった。
15日
久しぶりのなにもない日2。この日は仕事も休んだ。朝は習い事の練習を少しして、昼に旦那さんを仕事へ送った。
書店に行って、どうしても誰かに会いたくなった。会いたいというか、なんというか、どこかへ出かけて家の中ではない外界とつながってみたかった。喫茶店でも行こうかと考えたが、結局スタバでテイクアウトして家に戻った。
16日
週が明けて、霧が晴れたように仕事が次々終わっていく……。先週は肉体的にも精神的にも不調だった。気圧は大事。
職場の新しいメンバーと少しだけ仲良くなってきた(気がしている)。
仕事終わりに旦那さんと合流して、さびれたショッピングモールでしばし遊んだ。楽しかった。
17日
人の写真を撮った。人の横で体育座りをした。誰かと話したいなあという日だった。
誰かと話したい、どこかへ行って誰かと知り合ってみたい、そしてその思い出をもとにかけがけのない言葉を紡ぎたい。
現実は何もできなくて、仕事も不安定だし、未来が見えない。どこに動けばいいのかわからなくて、止まっていること以上の安心がわからない。
寝る前に、もうひとり、ここ一週間で三人目の知り合いの言葉を見つけて読んでいた(ブログ)。
その人の日記にはずっと一人で戦っている様子が綴られていた。すごいね。
何かを書きたい。言葉がいちばんわくわくするし安心する。言葉を見つけたい、書きたい。欲求不満みたいだ。
なんか表紙のチェウォンがエモくて買ってしまった。
紫陽花でコーディネートを組むページが好き。私にとって紫陽花は特別な花、しかしもう、少しだけ、過去の花。