先日、思い立ってクウネルを古書(Amazon)で買ってもらった。
本棚に一冊の詩集はなくとも、詩のようなものには知らず手がのびている。たとえば手触りのいい小石、小鳥が時を告げる時計、…(後略)
『ku:nel 2013.5 vol.61 詩とサンドイッチ。』掲載「コサージュ、/あるいは/ことばになるまえの詩の花束。」より引用
この号を初めて読んだときは、「そらの庭」というカフェで偶然手にしたのだった。詩が巻頭特集で、中に高階杞一さんの「早く家に帰りたい」が取り上げられており、そのことばに衝撃を受けたのを今でも覚えている。
あれがいつだったのか思い出せないが、5年くらい前だろうか。今、当時の日記を遡ると2018年の1月らしい。小豆島の書店で『早く家に帰りたい』を見かけて、帰りに寄った喫茶店で手にしたこの雑誌に偶然同じ詩が掲載されていて、本に呼ばれた……と書いてあった。
そして先日、まったく脈絡なくAmazonの海を眺めていたら、この号が出されていたので、夫に頼んで買ってもらった。
前に読んだときは詩の部分だけなぞるようにさらっと流したのだが、今回はちゃんと読んだ。
……とても内容が濃かった。ku:nelって、生活情報雑誌だと思っていたのだが、そうでもなかった。これが一つの作品という感じ。隔月で出ていたのが恐ろしい。私ならこの一冊が作れたらもうやり切れたと何もしない。
詩っていいね。
詩は時が完全に止まった世界、というようなことも書かれていたが、この本の中に綴じられた世界も、どれも色褪せていない。詩のページだけではなくてどの部分も少しも古びていない。服も可愛いし生活も真似てみたい。もしくは、私たちが一周の時を廻ってきたのかもしれない。
以下日記。
24日
ある作品について「どっちつかずの感じがいい」というような話をある人がしていて、文系であることを許されたような共感があった。答えが定まってないのがいいの。余白や、含みのある部分がいいの。私は。語られない部分やわかりきれないところに、期待があって好きと思える余韻が生まれる気がする。
先日、夜中に家を出てふらふらしていたのだが、日記を書いてから帰宅してぽろぽろと話して寝た。TSUTAYAでレンタル落ちのDVDがたくさん売られていて、思いがけず買うものにも出会えてラッキーだった。
次の朝は寒くなるかと思って厚着をしたけど少しも寒くなかった。
夜はビーフシチュー。夫がまたもや帰ってこなくて、家出の際に購入したミラーボールを炊き、DOPEな音楽をスピーカーで流して待った。
自分は家でひとり置いていかれたかのようなシチュエーションが嫌なのかもしれない。小さい頃にたくさん留守番したからもう飽きたのかも。もしくは、開けるまでわからない箱のように誰かを待つのが苦手なのかも。
25日
朝は練習。この日は前からどうしても行きたかったイベントが街であったのだが、帰宅するとともに急激に気がのらなくなる。考えあぐねているうちに眠ってしまい、気づくと夕方だった。休める日には休めばいいか。
26日
鳩谷商店へカレーを食べに行く。庵治の海をみにいった。宮古島に似てると思っていたけど、また違っていた。けど海は綺麗だった。
今日はこれから夫の家族と会う。